どうも、駆け出しブロガー らーきいです。
イキナリ経理目指す話でスミマセン。初めの話と次の話はそれぞれクリックしてもらえればと思います。
証券営業も3年目に入るあたり(2008年くらい)で僕はこれから営業を頑張りながらも、将来別のキャリア(特にもしアメリカに行っても使える能力と専門性が必要なもの)を考え始めました。
もちろんアメリカにいる彼女の事を考えてのこともありますが、大元のきっかけとして入社してすぐに手に取った城繫幸さんが書かれた「若者はなぜ3年で辞めるのか?」に書いてあったエピソードの一つがあります(確かこの本だっと思いますが、、、)。
とある重機を扱う中堅メーカーで営業をやっていた20代の営業マンが、その環境の理不尽さから嫌気がさして後転職して小さな会社の人事職として再スタートし経験を重ねます。その後も彼は規模の大きい会社で同じ人事職として腕を磨き、エピソードのラストには外資の人事コンサルタントとして華々しい転身を遂げ、報酬も営業時代をはるかに上回っていった、というような話でした。
それを読んでブログ主はいたく感動し「俺ももっと専門性を要する能力を選ぼう。そして営業という常にノルマから逃れられない不安定な職種とは別の世界でチャレンジしてみたい」と思ったのです。
実際のところ証券の営業も専門性かといえば十分専門的ではありましたが、証券知識やマーケットに対する専門性については本社に控える頭脳部隊(それぞれの金融商品に合わせた専門のマーケットや金融商品部署があり、証券アナリストなどの資格を有する専門家集団がいます)と比べれば、そもそもやっていることが全く違い、営業の専門は”人に商品を売ってくる技術のプロ”、つまりハイレベルな”売り子”です。そういう意味で僕はプロの”売り子”になりたいわけではなく、もっと別の業界や別の国でも通用する、汎用性のある専門家を目指したかった、というようなことを思っていました。
また、証券営業(特にリテール)が判断能力のない高齢者や、インターネットになじみのない昔ながらの、そして特に証券知識の薄い顧客に大きく依存している状況もよくわかってきたので、これからいつまでもこの業界がその当時の状況のまま続くとは思えなかったという事も大きな理由でした。
その意味でこれから確実に衰退していく業界に身を置いておくことに大きな不安を覚えました。それは現状高い給与水準もいずれは下がっていくという事ですし、先細りになれば労働環境は、給与の悪化に伴い確実に悪くなります。少なくなるパイを巡って苦しい競争が始まることが予想されるからです。
そんなこんなで将来アメリカに行くことを想定した上で広範な汎用性をもっている仕事として思い浮かんだのは会計職でした。複式簿記や会計基準は大きく世界共通のビジネス言語と呼ばれているくらいです。
そうした背景から営業職をしながら簿記、USCPAを勉強を始めます。ほぼ同時に英語力の不足を感じて、大学以来の英語の学びなおしなどを経ていきます。体力的にもプレッシャー的にもきつかったですが、スキマ時間や休日を使ってそうした会計や英語の勉強をしていき、日々アメリカの彼女ともスカイプで遠距離恋愛をする日々、、
しかしもともと物覚えのよくない僕は勉強が遅々として進まず「本当に会計をやっていくつもりなら、もう会計に専念するしかない!」と思い日興の社内異動希望にも「経理部」を書き込んだり、適当に自社経理の課員に電話して、どうすれば社内異動できるかなどを相談したりしていました。
2、3件ほど経理課員に時間をもらって電話相談しましたが「うーん、専門的な部署なんで、どうかなあ」というようなあまり助けにはならない返答をもらった記憶はあります。
しかし日興証券において異動は年に一回あるかないか、そして営業から経理への異動も非常に可能性としては低いし、ほとんど誰に聞いても「そんな異動は聞いたことがない」という状況、、、 本当にUSCPA目指して経理をやりたいなら「これは転職しかないな、、」と思うのは時間の問題でした。
今の嫁さんであるアメリカ人の彼女と出会い、同棲したり、短期の遠距離恋愛になっていたのが2006年から2007年まで。経理を目指し、USCPAや英語の勉強を決意したのが2008年、そして2008年半ばに北千住支店から川崎支店へと移動が決まり、そこで同じ営業活動に邁進しながら、遅々として進まない勉強に苛立ちながら転職を決意したのが2009年の事です。
次回”転職と転落”に続く!
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