渡米のきっかけとアメリカ就業ーブログ主の経歴編2 アメリカ人の彼女と転機

ブログ主の経歴

どうもー 駆け出しブロガーらーきいです!

さて、前回の話に続き地獄の社会人2年目を送っている最中でしたが、その時僕には遠距離恋愛をしている恋人がいました。社会人一年目をやっているときに出会った今の嫁さんです。アメリカ人の彼女は日本の私が卒業した大学に留学していて、私が所属していたスキースノーボードサークルに入っていました。

ゴールデンウィークの春合宿に私も仲のいい後輩から誘われて長野県の栂池のスキーロッジで彼女に会いました。今でもかわいいのですが、当時は”これ以上可愛いコ、この世にいるのか?と”思うほど飛びぬけて可愛かったです。

そんな美人はそうそうお目にかかれないでしょう、というような容姿でした。そんな彼女に酔っぱらって無理やり襲いかかったりして、後輩達から撃退されていました。はっきり言って相当ダメな先輩でした。

そんな彼女とは結構ウマがあったのか紆余曲折を経て付き合うことになりましたが、6か月の短期留学だったため、すぐに遠距離恋愛となりました。生き馬の目を抜く証券営業に四苦八苦しながらも彼女へのスカイプと国際電話はマメに続け、その遠距離関係はその後5年あまり続きます。

彼女との関係を深めていく中でアメリカにいつか行く可能性を漠然と考えるようになっていったと思います。とは言ってもそれでもデキる営業になって会社でえらくなりたいと思ってましたし、社会人とサラリーマンとして成功することが、自分の頭の8割以上占めていたといっても過言ではないと思います。

悲しいことは自分にはその才能はなかったということ。営業の才覚もなければ、サラリーマンとして必要な気遣いや気づきや要領の良さは自分には本当にありませんでした。

自分の性格や素質を考えれば、王道を努力で進むのではなく、誰もやらないようなことをリスクを抱えながらでも突き進んでいくほうが成功に近づくといったことはつゆほども考えていませんでした。

今考えればあまり寄り道せずに彼女と一緒になるためにアメリカに行くほうが順当だったと思いますが、まあ人生は回り道、ということでしょうか。

さて、証券マン生活ですが2年目にさんざんシバかれたおかげでしょうか。3年目には成績的にもいくらかマシになったかな、と思いきや3年目の秋には神奈川の川崎支店に移動となりました。

S課長がどうも部下をシバきすぎた事が原因で本社から目をつけられてしまい、その関係でシバかれ対象の私が軽く異動となった(というような噂だったと思います)。いくらか営業としてはまともになったと信じたいのですが、そのころの私はといえば「このまま営業続けていいのか、、」と漠然と考えていました。

営業という特技を磨いていくのは悪くなかったのですが、常にプレッシャーにさらされ続けること、資格など定性的に評価される基準がないこと、そして何より証券会社での営業というのは正直、完全に自社の利益中心であり、ノルマとなる売り物は顧客の利益とは程遠いような価値のない金融商品ばかりでした。

それを「自分はお客さんが喜んでくれるように」と自己暗示なるものをかけて自分では全くほしいとは思わない価値のないモノを売り続けるといった行為で、そんなことを3年も続けていっぱしになる頃にはもっと正直な商売で自分のキャリアを磨きたいというような思考になっていきました。

次回:経理を目指す!に続く!

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