2.怒りやすい性格
さて、怒りのメカニズムを理解したところで、どんな性格の人が怒りやすいのか、怒り心頭となりやすい性格を見てみましょう! あなたはすぐにキレるタイプですか? 怒りやすい性格というのもある程度他の特徴と結びついていますので見てみましょう。
a.完璧主義・白黒はっきりさせる方: 自分のやり方をしっかりと確立していたり、一定のルールに乗っ取って良いか悪いかをはっきりさせないと気の済まない方です。そのやり方、ご自身の理想や考えが高く崇高なものであるためにそれ以外を許容できず、許容せざるを得ない場合に出くわすと怒りの感情が湧きやすいのです。
b. プライドの高い方: 自尊心が高く、自身の考え方や物事のこなし方に自信を持っています。それゆえに、何らかの否定やネガティブな発言、態度を取られた場合、通常より大きな怒りの感情を抱きやすいです。
c. 正義感の強い方: ご自身が一定の理屈に基づいて公明正大であり、その考えを強く堅持している場合、それをはみ出した他者の考え方や態度、行動に対し、自身の考えを否定されたものと感じ、強い怒りを覚えます。理想が高いほど、その理想を裏切る行為に対し怒りをいただきやすくなるのです。
上記の例を見ると総じて柔軟性に欠ける方、グレーを許容できない方ほど怒りを感じやすいといえるでしょう。お年寄りになると一般的には頑固な方が増えるといいます。頑固=柔軟性が弱い、となりますんでキレてしまうご老人はこれが関係あるのかもしれませんね。
3.アンガーマネージメントを身に付けるメリット
さてこの怒りをうまくコントロールする手段を「アンガーマネージメント」と呼んだりするのですが、これを身に着けると、どんないいことがあるんでしょう? 冒頭で話したとおり、人間関係での後悔を減らせるわけなのですが、もう少し深掘りしてみますね。
まず怒り自体はネガティブで人間関係にはよくないもの、と記述しました。これはいつも100%正しいわけではないんです。といいますのは怒りに直結するエネルギー(感情)にはいいものもあるからです。率直にいってそれはマイナス感情である「鬱憤」「不満」などです。もちろんこれらの感情を怒りに爆発させて周りの人に当たり散らせば人間関係は悪くなるでしょう。しかし前向きに行動に変えてみるとどうでしょうか?
例えば男女差別のあった時代の日本を考えてみます。男女雇用機会均等法が女性の地位向上に一定の寄与をしたわけですが、それ以前は女性は男性のように働くことができず(と言っても今でも正直、男女平等にはかなり遠いとは思いますが、それはさておき)多くの女性が不満を抱えていたであろうと思います。しかしその女性たちの不満を前向きなエネルギーとし、政治的な動力としていったことで一つの法案が動き、不満解消へと近づいた、という事は言えるでしょう。スポーツで負けた選手が「悔しさ」という負の感情をバネにさらに努力し勝利に近づく、というのも同じ理屈です。
このように怒りにつながる負の感情であっても使い方によってはいい効果をもらします。ここで重要なのが「その負の感情を利用して怒るか、それとも怒らないでおくか」という選択を自分の意志でコントロールすることなのです。職場の話だとすれば上司が部下に対し適度な怒りを発し、次の仕事の改善を促すことで、チーム全体として仕事効率を上げることもあるでしょう。どのように感情を発するか、怒るか、引いてはコミュニケーションをとるか、ただ感情に流されず、その感情をうまく制御して利用することがこのアンガーマネジメントの重要な意味です。
さて、上記を踏まえ怒りをコントロールするメリットを挙げてみましょう!
a.状況を客観視できる: 一度怒りの感情を抑えることができれば、冷静になり、自分の怒りそうになった原因も含めて物事を客観的にみることができます。客観的に眺めてみるといい解決法も効率よく出てきます。
b. ストレスが減る・コミュニケーションが円滑になる: 当然ですが、怒りは他者に精神的な衝撃によりストレスを与え、円滑なコミュニケーションを妨げます。怒った本人も一定のストレスを抱えます。情報や意思疎通のやり取りに関していえば余計なストレスを生み出さないためにも怒らないに越したことはありません。
c.生産性が上がる: 上記bに直結しますがコミュニケーションが円滑になれば結果として生産性は上がります。AIやコンピュータの活用で人類の生産性が上がったように一定の作業処理において「怒り」という感情(別に怒りに限定する必要はないかもしれませんが)が入らないほうが生産性は良くなります。
d.自分と違う考え方を受け入れられる: 非常に大きな利点です。怒ることなく自分が想定していないものを認めることにより、別の価値観や考え方を受け入れることができます。「自分のやり方が絶対に正しい」「絶対とはいかなくとも、おおむね正しい」と考える方は多いでしょう。1900年初頭に馬車の運転を職業としている人たちは自動車の発明を認められなかった(そしてその職業はなくなっていった)、1950年代に電話の交換手を職業としていた人たちは通信技術の発達で電話が架け手と受け手の直通通信が普及していくことを認められなかった(そしてその職業はなくなっていった)、1990年代にレンタルビデオ屋をやっていた業者はインターネットの普及でビデオテープ貸し業がなくなることを認めれなかった(アメリカにおいては完全にその業務は無くなりました)、これからは何でしょう? タクシーや長距離トラックは運転は地域によっては完全自動運転になっていくんでしょうか。それはさておき、自分の信じているものがなくなっていくというのは多くの人にとっては耐えられないものだと思います。特に自分の技術やお金・生活がかかってくるとそうです。「悲しみ」や「失望」という負の感情が大きく発生し、そんな予定事実をとうとうと説かれたらすごく怒るでしょう。しかし常に技術は進み、それに応じて環境も変わり、そのゆるやかな激動を僕たちは生き抜いていかねばなりません。信じられないから、受け入れられないからと怒っていてもダメなんです。話が脱線しましたが「正しく物事を見て、受け入れる」ために長い目線で怒らない技術というのは役に立ちます。
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