USCPAのスクール選び
2008年、確か川崎支店への異動の数か月前だったと思いますがUSCPAを目指すにあたって早速対策を考えました。独学で合格をめざす、というのはすぐに無理筋そうだというのはわかりましたので学校探しからのスタートです。その時はAbitasとProactiveが専門学校としては有名だったので2校の無料体験に行ってみて研究することにしました。プロアクティブは講師が数名、少数精鋭で教えているようなイメージでした。テキストは各科目一冊づつ、当時は貸し出しの授業ビデオと教室での授業で教えていました。佐々木先生の授業はインパクトがありユニークで面白いなあ、と思っていました。
対するAbitasはUSCPAについての無料講習会では多数の質問対応をしてくれるヘルパーがおり、生徒の支援体制の厚さを感じました。独自の教材が充実しており(一科目につきテキストと問題集で2冊以上プラス各参考書があった気がします)、合格までは長い道のりなのかなあ、と感じる一方、しっかりと着実にやれば合格には十分たどりつくようなプログラムだと思えるような入学説明会でした。
他にもスクールの選択肢はあったかと思うんですが、頑張っていろいろ探すことはせず、とりあえずこの二校から決めようと思っていました。おそらくこの当時考えていたことは「合格できるかどうかは要は個人の努力の問題であり、何も始めずにあれこれアプローチを考えるのは時間の無駄」といった感じだった気がします。まあ、今思うと間違ってはいないんですが、初めからの終わりまでの流れや努力に必要な期間などもよく検討の上、十分に他の選択肢も含めて考慮してもいいんじゃないか、と思いますが僕自身はとにかくめんどくさがりでした。
結局のところ、コンパクトな教材と授業料の安さ、そして佐々木先生の面白さ(?)に魅かれProactiveを選びました。ただ今思うのであれば基礎をしっかりと学びながら進めるのであれば値段は高くともおそらくAbitasのほうが近道であったのではないかと思います。それはその後の評判やプログラムをよくよく吟味してからの判断なので選択をしたのその当時にはたどりつかなかった結論だったとは思います。
さて、入学してすぐから早速生徒用のビデオ講義を見ながら(その時はまだVHSのビデオテープの貸し出しをしていました、時代ですよねえ)REGやFAR科目の基礎を勉強していました。興味深く一つ一つ講義ビデオ止めたりつけたり、演習問題を繰り返したり、一巡してもう一度おなじ講義を見たりと、おもに土日を中心に学習を進めていきました。自分のやっていた証券営業には何の関係もない英語の会計や税法の勉強です。少しずつでも続けていけたモチベーションは間違いなくアメリカにいた彼女への思いだったと思います。
遠距離恋愛
話はUSCPAのスクール選びより前にさかのぼってしまうのですが、2006年の秋に彼女がアメリカへ帰ったのち、短い遠距離恋愛を挟んだ後に、2007年に彼女が二回目の中期滞在としてまた日本を訪れてくれました。彼女はアメリカで日本の小学校でのインターンを手配し、来日後はインターンをしながら僕と一緒に浅草のアパートに住んでいました。一緒にデートし、旅行し、いつも一緒に夕ご飯を食べ、僕はもちろん平日働きながらですが一緒に楽しく過ごしていました。彼女の事は真剣でしたがそれでもどのように将来一緒になるか、まだはっきりといしたビジョンが浮かんできません。彼女は日本への興味を強く持っており、しっかりと日本語を勉強し、日本で働いてみたいと考えていました。その時点では彼女は大学生でしたが、彼女のその考えに沿って滞在中に日本で仕事を見つけられたらいいなあ、と思っていました。結局ビザの問題やどんな仕事につきたいか、その可能性についてもその当時は突き詰めて考えることができず、一度の帰国を挟んだ約半年の滞在の後同2007年、彼女は大学の卒業の必要もあり一度アメリカへ戻ることになります。
大学生当時までの僕は恋愛についてはある意味アプローチは積極的でうまかったものの、恋愛自体、つまり他の女性ときちんと付き合って関係を築くという行為についてはてんでやっていなかったと言えそうです。もともと僕は高校生までは非モテで女性にモテることが大学に入ってからの至上の目標となってしまっており、その中でナンパのテクニックや女性にアプローチする手法を読み漁り、それを実践に応用することで女の子をモノにしたと勘違いしているようなやつでした。物怖じしない外交的な性格だったことはそうした恋愛アプローチには大変向いており、大学1年の時に非モテからそれなりにモテるようになるまでの変身するスピードはあまりイケてない外見にも関わらず早かったです。こうして次々と女の子と遊んでは、また別の子と遊んで、というようなスタイルだったため、実にきちんとしたお付き合い、人間関係には無頓着でした。
アメリカ人の彼女へアプローチしたのも最初はその一環でした。ですが意外と彼女の身持ちが堅かったこと、そしてその間に全然自分と違う(でも魅力的な)ものの考え方をもっていること、知らない外国の常識や考えをもっていることなどを知り、そうした点に強く惹かれてしまい、最初は遊びのつもりだったのが本気になりました。自分でも信じられなかったのですが、最初彼女がアメリカに帰国しなければいけない時には一緒に遊んでいたのに不覚にも泣いてしました。それくらい彼女の事を好きになっていたのだと思います。
彼女が大学卒業のためにアメリカへ帰国し、また長い遠距離恋愛が始まります。彼女と遠距離恋愛をしている時は休みの日も平日もSkypeで2日に一度のペースで話をしていました。彼女とずっと関係を続けられたのは当時PCとネットがあれば無料で使う事ができるようになったSkypeのおかげです。彼女とのSkypeを接続したままProactiveの講義ビデオを聞いたりしていたので佐々木先生のインパクトある声を聞いて彼女は笑っていました。
2007年の春に前に記述した通り鬼上司が北千住支店に赴任し、必死でそれを乗り越えようとする中で、上記の思いからUSCPAの学習をスタートさせます。実のところUSCPAの勉強をする中で同時に英語の必要性も痛感しました。僕は大学に在学中、休学してドイツへ半年、イギリスへ半年の留学をさせてもらっています。親に頼み込んで、祖母から資金をいただいて行かせてもらいました。欧州の大学への留学ではなく休学して自費留学です。自分で語学学校を手配して、6か月ずつ、ドイツ語と英語を勉強しに行ったのです。英語はともかくなんでドイツ語なんだ、というと僕の大学の専攻が外国学部のドイツ語であったから、という事になってしまうのですが、たったの6か月で一つの外国語をそれなりに勉強しようとは今考えるとまず語学を舐めている(外国語学部なのに!)としか思えない戦略です。
僕は子供の頃から頭のいい人間になりたくて(今だになれてませんが)、外国語がペラペラ話せる国際人像がその象徴みたいに安易に考えていたのでやはりそれと同じくらいの安易な考え方でしか外国語の学習というものを考えていなかったということですね。1年の留学の結果はというと、物事を要領よく覚える才能もなかったというのも手伝って、かなり中途半端に英語とドイツ語を勉強して帰国、ドイツがドイツ語検定初級にやっと受かる程度、英語はTOEICで何とか600点を出せる程度と、「これだったら日本にいて効率よく勉強したらいくらでも出せそうじゃん」的な結果しか残せませんでした。大学の身の回りには語学の達人たちがいくらでもいたので(僕の行ってた大学は帰国子女だらけでした)、少々落ち込みましたがそれでもやはり人生何があるかわかりません。
さて2008年に話は戻ってヘロヘロのTOEIC600点からUSCPAに必要な最低限の点数は取ろうと思い、まずは英語学習に注力せねばいかんと確信していきます。同時に将来彼女ともっと自然なコミュニケーションや、アメリカでの就労を想定すれば英語学習をやり直すことにも大いに付加価値があります。USCPA取得にあたっては最低でも700点代は必要、800点くらいでOKだと認識していたのでまず効率的なTOEIC対策に乗り出します。もっともUSCPA対策だけであれば読解のセクションで8割くらい取れていることが理想であり、リスニングセクションの得点はUSCPA受験には全く無関係と言えますが、将来的にはアメリカで働くことも考えTOIEC全体で800点以上は取ろうと強く決意します。
コメント