ニューヨーク近郊の会計士 仕事日記 番外編 軽く小説(的長さ)! USCPA合格まで道のりと彼女への感謝 日本編

USCPAの勉強法

2008年 彼女との関係とUSCPAについて

初めてUSCPAというものを知り、その有用性を知ったのは2008年あたりでした。地獄の営業2年目が過ぎてゆき、少しながら仕事に自信がつき始めてきました。証券営業の3年目でもっともっと営業ができるようになりたいと思う一方、この「証券営業」をずっと続けて生涯の仕事にしたいのか、それとも他にも専門性が磨けることはないか、仮に彼女と本気でくっついてアメリカに行くような場面になったらどうなのか、といろいろな事を考える中で、とりあえず働きながら関連の資格でもとろう、前向きに考えていこう、というモチベーションになってきました。

アメリカに行った際の備えて事務系の職種で自分の専門性がほしいということでやろうと決めたのがUSCPAです。アメリカでも日本語を使うような営業職はあると思いますが、言語の違いもあり営業を専門として働いていけるイメージはその時はほとんど持てません。他にも証券アナリストや税理士資格なども取得資格の候補としてはありましたが将来はアメリカでの活動を見据えると「USCPAしかないな」という気持になりました。専門性は自分のキャリアを考える上でとても大事だと考えていて、仮に今いる職場が嫌だ、と考えた時に転職の自由をもたらしてくれるものは間違いなく専門性です。もちろん証券営業だったので専門性はそれなりにあったかもしれませんが、他の職種も知らずにずっと営業をし続けるのはどうなのかな、と思っていましたので早速どういうアプローチでUSCPAを目指そうか考えてみました。

証券営業も3年目に入るあたり(2008年くらい)で僕はこれから営業を頑張りながらも、将来別のキャリア(特にもしアメリカに行っても使える能力と専門性が必要なもの)を考え始めました。

もちろんアメリカにいる彼女の事を考えてのこともありますが、大元のきっかけとして入社してすぐに手に取った城繫幸さんが書かれた「若者はなぜ3年で辞めるのか?」に書いてあったエピソードの一つがあります(確かこの本だっと思いますが、、、)。

とある重機を扱う中堅メーカーで営業をやっていた20代の営業マンが、その環境の理不尽さから嫌気がさして後転職して小さな会社の人事職として再スタートし経験を重ねます。その後も彼は規模の大きい会社で同じ人事職として腕を磨き、エピソードのラストには外資の人事コンサルタントとして華々しい転身を遂げ、報酬も営業時代をはるかに上回っていった、というような話でした。

それを読んでブログ主はいたく感動し「俺ももっと専門性を要する能力を選ぼう。そして営業という常にノルマから逃れられない不安定な職種とは別の世界でチャレンジしてみたい」と思ったのです。

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