ブログ主の来歴と就職
彼女と会う前のブログ主といえばですが簡単に僕の来歴を説明します。ブログ主は東京の私立大学の外国語学部、ドイツ語学科を卒業しました。頭の良さはというといわゆる「努力はまあできるが、てんで要領が悪い」タイプで居酒屋でバイトをしていましたが数々の凡ミスにより誰よりもよく怒られているポンコツ、1年留学(イギリス半年、ドイツ半年)させてもらってドイツ語学科を卒業したけどドイツは大学卒業時にはほとんど忘れてしまいほぼ喋れず、英語も受験とイギリス現地で勉強したにも関わらず当時TOEIC600点前半がやっとという生来のポテンシャルの低さは客観的にみればわかりそうなものでしたが、この事実と低CPUぶりに大学卒業当時はほとんど気づいておらず「俺はこれから一気に出世のスターダムを駆け上がってやるぜ!」と息巻いているバカ者でした。
やる気とラッキーだけはありまして、なんとか就職氷河期からは脱した2000年代半ば、ほとんどやる気だけで3大証券の一角、日興コーディアル証券(現SMBC日興証券)に入ることができました。
この会社では入社した大半が個人、中小企業オーナーをターゲットとした地方を含むリテール営業に回されます。私は英語を使う業務をするような頭脳要員として入ったわけではありません。
地頭の良さを評価されたその中でも数少ないコーポレート組が本社の各部署に配属されていく中、ブログ主はやはりごたぶんに漏れず地方を含むリテール営業組となりました。配属支店は東京足立区の北千住です。
自分が人気者でコミュニケーション能力が高いと勘違いしていたブログ主はそこで強烈な鉄槌をかまされることになります。実際に営業に出ますが、セールスは箸にも棒にも引っかからないわけです。大学時代はサークルの仲間内でもてはやされていただけの、外に出たら何もできない凡人だとちょっと理解した瞬間でした。彼女と出会ったのはこの年の5月だったのでまだ社会人としての勘違いにも気づいていない頃だったと思います。
半年も経つとだんだんと同期でも差がついてきます。営業は数字ですべて明確にランクが付けられ全国の支店に公表されてしまうので非常に残酷です。同期のみんながそれなりの売上を達成するなかでブログ主の1年目の成績は下から2割から1割のあたりをフラフラ、正直当時の証券会社は(少なくとも日興証券は)成果を出せないやつは容赦なく叩かれてパワハラをくらって退職する羽目になる労働環境でした(今は改善しているのでしょうか?)。
成績の下から半分なんて容赦なくパワハラされるような土壌の会社でしたが、私はたまたま一年目の上司が温厚な方だったので、初年度はそういったことはなかったんですけど、2年目に支店へ赴任してきた課長はちょっと”ヤバイ”人でした。その方は忘れもしないS藤課長、S課長としましょう。
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