ニューヨーク近郊の会計士 仕事日記 番外編 軽く小説(的長さ)! USCPA合格まで道のりと彼女への感謝 日本編

USCPAの勉強法

日興証券へバイバイ、最初の転職

この頃、仕事では北千住支店から川崎支店へと人事異動となり、少しは慣れてきた証券営業もまた顧客リレーションを作り直しとなって足掻いていたのですが、この時にすでに片足を突っ込んでしまったUSCPAへの道(USCPAスクールへも入学していた)から出られず、証券営業の将来性のなさや、その営業の意味を見出すことも難しくなっており、片意地になって”もうこんな不毛な証券営業なんざやめてやる!”といったような状況になっていました。

一緒の支店で働いていた同期も証券営業に見切りをつけているところがあり、僕なりのビジョンがあったものの、そういった周りの動きに乗っかっている側面もあったと思います。

同期のK君の紹介もあり、リクルートエージェントに登録、その後経理や経理系のアドミン関連の面接の紹介をしてもらい何社か面接を受けました。最終面談まで進んだところは当面なく、いかにもブラックな感じのところを何社か(いずれも経理ではなく経理を含めた事務関連)を受けたイメージで、さすがに日商簿記3級も受かっていない営業職を面接してくれる経理部はそうそうありませんでした。

リクルートだけでなく転職エージェントのJCRにも相談したり、個人でやっている転職エージェントにもコンタクトしたり(ここは途中から全くエージェントに連絡が取れなくなった!)と当時の転職活動も今思うと社外のいろいろな人と話す機会があり面白かったと思います。このあたり営業職なので途中で抜けて面接を受けに行ったりなど、融通が利きました。

さて本格的に転職活動を始めて3、4か月くらいだったでしょうか。未経験OKということで当時東証2部上場だった日本エイム(UTホールディングス傘下)という、主に半導体工場などに人員を派遣する工場系人材派遣会社に経理部員として面接を受けないか、という話をもらい計2回の面接の末、内定をもらいました。2010年の夏でした。

2回目の面接でCFOからは「とにかく資金繰りをやってほしい」という事を言われていたのでどちかというと財務系の能力を期待されていたのかと思います。証券会社の社員だったこともあり、証券市場からの資金調達や銀行回りなどを想定していたのかもしれません(もっとも僕は証券会社の人間でもリテールの営業だったので、投資銀行部や法人営業がやっている華々しい資金調達案などは全く無縁でした。証券リテールとはボケ始めて半ば話の通じなくなっているおばあちゃんとか地元密着の中小企業の社長からいかにお金をひっぱるかを常に考えています。地味なものです)。

とはいえ、しっかりと内定通知は”経理財務部”部員としてもらっていました。何せ経理の経験も資格もなかったのでうれしかったです。そして心の1/3くらいはこのヤクザな証券商売からオサラバできることがうれしかったです。

僕が日興を辞める当時、その時は日興証券川崎支店のチーム内で同期のK君、一期下のK君、そして僕自身のイニシャルもKなので3人で3K、3Kが3人まとめて会社を辞めていき課のボスだったK部長(やはりK)を精神的に参らせて倒すという作戦を”ジェットストリームアタック”というわかる人にしかわからない名前を付けて実行している最中でした。

そんなジェットストリームアタック作戦により他の二人のK君たちがすでに前々月6月、前月7月に退職実行しており、8月の僕でK部長へのとどめとなりました。課員3人でまあヒドイ事をしたわけですが、最後は送別会もやってもらい、なんかすごくいいブランドのネクタイもK部長からいただきました。

K部長は課員にとっては少々時代錯誤的でなかなか言動のうっとうしいところがある人で、昔ながらの証券マン、昔ながらに育てる、と言った感じの上司。困ったことがあると”それはバキューンやなあ”と、よくわからない事をつぶやくおもしろいオヤジだったのですが、個人的には営業の仕方について教えてもらったことは大変お世話になっていました。

それなのにK部長にそんなひどい仕打ちをしてしまい今思うと本当に申し訳ないことをしてしまったと思っています。非常に精神的に強いおっさんだったのですが、今でもあの生き馬の目を抜く証券業界で大丈夫なのかどうかちょっと心配です。

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