ニューヨーク近郊の会計士 仕事日記 番外編 軽く小説(的長さ)! USCPA合格まで道のりと彼女への感謝 アメリカ編

USCPAの勉強法

プロポーズ、そして結婚

さて、2011年から2012年当初の冬まではELS(大学の準備英語コース)で脱線し、肩の力を抜きまくっている日々でしたが、2012年の夏セメスターが始まるころには会計修了プログラムをいい成績で修了することを目指し、同時にCPAの勉強も並行して進めていきます。プライベートでは僕は依然彼女の実家に住み、彼女の両親たちといつも一緒に晩飯を食べたりと、もはや普通の家族の一員のように過ごす日々でした。

彼女は仕事においては遠距離恋愛中の2008年からボストンにある大手信託銀行、ステートストリート(State Street)でファンドブックキーパーとして働いていましたが、給料が$33,000からのスタートで昇給も芳しくなく、一人暮らしは心もとないとのことで実家暮らしでした。そんな中ここまで書いてきた経緯から2011年より僕が彼女の実家暮らしに加わり、割と仲良くみんなで生活していたのでした。

毎朝彼女は車で実家からボストン地下鉄ののBlue line 最北端、Wonderland Stationで電車を使うべく車で出勤します。僕はそれに乗せてもらい途中のバス停へ。そのバス停から一本でSalem State Universityのキャンパスまで行けます。授業に出ては空き時間に英語の本を読んだり、会計、USCPAの勉強を続ける毎日。

そして大学就業中の2012年、僕は大学の冬休みにここまで温めてきた決意を固めます。彼女のいとこの旦那から紹介してもらったボストンの貴金属店に4,5回足を運び、入念に婚約指輪とそのダイヤを選定し、購入したのでした(これは借りたお金で買ったのではないですよ、日本から持ってきた虎の子の貯金、もし結婚を決意した際には指輪の購入資金として当てようと思っていた大事な資金です)。

プロポーズは僕と彼女の共通の趣味であり、僕達の出会いの場でもあったスキー場(その時は日本でしたが)でスキー、スノーボードイベントを舞台にしようと思い、バーモント州のStow(ストウ)という数あるスキー場の中でも少し高めで雰囲気がとてもいい場所を選びました。思えば僕と彼女が出会ったのも長野の白馬、栂池でした。ならば次なる大事な瞬間もスキー場にしてみようと思ったわけです。

Stowの山の一つあたるリフトの終着点の山の上、なぜかその時はオコジョが現れてぐるぐるリフト降り場を回っており、灰色の野兎も出てきてギアの脱着所付近をぐるぐる回っていました。なんか動物たちに祝福されているような気がして嬉しくなりました。丁度スキー客が少なく僕らしかいないタイミングだったので、頂上の少し下の見晴らしのいい場所で、よくよく真剣に選んだ婚約指輪を彼女の指にはめてプロポーズしました。当然そこは一面雪だったのでもしリングを地面に落としたらヤバかったですがそれはなし(笑)、彼女は目を潤ませてOKしてくれました。

よくよく考えてみれば2006年に出会ってこの時には6年が経ち、アメリカで同棲を始めて1年半が経っていました。これ以上待たせるのはもう無意味だと思いました。もうアメリカに来た段階から僕は結婚の腹は決まっていたのです。僕にとって彼女は他では絶対にみつからない最高の女性だったのです。これは僕にとって最高の決断だと思っていましたし、結婚式から10年が経った今でもそう信じています。

アメリカでは結婚は式場を始め、フォトグラファー、ビデオグラファー、ケータリングサービス、バーサービス、ウェディングドレス・タキシード、DJ、招待状、記念品、司会者・パスター、など結婚式に必要なありとあらゆる業者やアイテムをすべて自分達で調達したりアレンジしますが、そういったひとつひとつの業者選定をして、結婚式準備を(主に嫁さんが)進めていき、2013年8月9日、マサチューセッツ州のトップスフィールドという町でついに僕らは結婚式をあげました。僕の母や妹、そして嫁と僕を引き合わせたともいえる大学の後輩もわざわざ日本からマサチューセッツまで来てくれ、僕と嫁は本当に幸せな瞬間を迎えることができたのです。婚約から結婚式までは目が回るほど忙しかったです。

まあ、まさか無職のまま、海外で結婚式をあげるとはおよそ自分が日本で大学生をやっている時には思っていませんでしたね。

この時に大の苦手な飛行機に乗ってアメリカまで式に来てくれた母親がプレゼントしてくれたのがこのTシャツ:

ド直球ですが、夢を追いかけて僕がアメリカに行ったことは母親もよくわかっていたことでした。だからわざわざこんなシャツを用意してくれたのでしょう。僕は「マジでやらないとな」っと思ったのです。

これより10年前にはまさかアメリカ人とアメリカで、かつ定職についていない状態で結婚するとはまさか思っていませんでしたが現実はそういうことになりました。でもそれはそれは幸せいっぱいでした。

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